創立当時の森平蔵

創立当時の森平蔵

本学園の前身である樟蔭高等女学校が設立された1917(大正6)年、当時の女子教育の状況は、大正デモクラシーの進展もあって高等女学校への進学率が急速に高まり、大変な入学難を呈しておりました。

特に大阪では女子のための中・高等教育機関が少なく、進学志望の小学生は狭き門を突破するため、非常な受験勉強を強いられていました。実業家であった森平蔵は、こうした児童・生徒の心身発達の過程上、悪影響を及ぼしかねない不毛の受験勉強を憂い、さらに狭き門から生じる偏った秀才教育に異を唱えて、内容の充実した質の高い女子教育を推進するため、巨額の私財を投じて私立樟蔭高等女学校を設立致しました。

1920(大正9)年 授業の様子

1920(大正9)年 授業の様子

このような創立者の熱き思いを反映するように、樟蔭高等女学校では、当時の女子教育に手薄であった教養教育の充実を図り、高い教養を持ち一人の人間として真に成熟した女性を育成することを目的として、最高の教育環境と設備が整えられました。

その後も、建学の精神を踏まえ、1925(大正14)年に当時の女子の最高教育機関であった女子専門学校を設立、戦後の学制改革などを経て、幼稚園・中学校・高校・大学・大学院からなる女子の総合学園として発展して参りました。

本学では、いつの時代も「『高い知性』と『豊かな情操』を兼ね備えた社会に貢献できる女性の育成を目指す。」という建学の精神の主旨を大切に受け継いで参りました。そして、これからも建学の精神を中核とし、常に最高の教育環境を実現できるよう一層邁進して参ります。

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創立者 森平蔵

創立者 森平蔵

樟蔭学園を創立した森平蔵は、1875(明治8)年に兵庫県に生まれました。16歳の頃から大阪市内にある材木商の店で見習い奉公として働きはじめ、26歳頃には独立して木材販売や植林業などに取り組みます。また、木材を運搬する船舶の重要性に注目し、汽船会社を設立。時はまさに、第一次世界大戦の影響による大戦景気に日本経済が沸いており、森平蔵も木材販売や汽船による海運業などで莫大な利益を得ることができました。 一方、当時の女子教育の環境は脆弱であり、特に大阪では高等女学校の数が圧倒的に不足していたことに加えて、既に設立されていた高等女学校の施設・設備も十分なものではありませんでした。森平蔵は、この国の明るい未来のためには女性への教育を充実させることが最も重要であると考え、私財を投じて高等女学校を設立することを決意します。学校の設立にあたって森平蔵は次のような主旨を述べたといいます。

「自分は時代の波に乗り巨万の富を得ようとしているが、これは自分のためだけに使うべきものではない。この財産を使って高等女学校を作り、ぜひとも世のために役立てたい。」

森平蔵が高等女学校の創立にあたって最初に投じた金額は、当時の金額で約100万円。これを現在の価値に直すと約50億円以上とも言われます。巨万の富を得ていた森平蔵であっても、これだけの金額を投じることは並大抵の決意ではなかったと思われます。

また、森平蔵がこのような大規模な社会貢献事業を行ったのは、決して自らの名声を得ようとしたものではなく、真に女子教育の発展に貢献できることを願っていたからに他なりません。森平蔵は、決して自らの功績を他人に自慢することなく、その最期まで学園の運営に尽力していたことは、彼に関わった多くの人々からの伝承として今も残っています。

初代校長 伊賀駒吉郎

初代校長 伊賀駒吉郎

伊賀駒吉郎は、1869(明治2)年に香川県高松市に生まれ、東京の学校を卒業後に教員への道を歩みはじめます。各地の師範学校および女子師範学校で教鞭をとった後、1906(明治39)年には大阪府立島之内高等女学校(後の大阪府立夕陽丘高等女学校)の校長に就任、その後に兵庫県で私立甲陽中学校を設立するなど、関西の教育界の第一人者として有名な存在でした。また、女子師範学校や高等女学校での実績、「女性大観」などの著書の発行により、特に女子教育において高い評価を受けていました。
1916(大正5)年、高等女学校の設立を決意した森平蔵から学校設立にあたっての顧問への就任を依頼され快諾。森平蔵の熱い思いを受けた伊賀駒吉郎は、優秀な教員の手配から校舎の設計、学校備品の調達、図書の買い付けなど、理想的な女子教育を実現するための高等女学校の設立に向けて尽力しました。

そして、伊賀駒吉郎らの尽力により1918(大正7)年4月には樟蔭高等女学校が開校。その後、森平蔵からの強い要望を受けて樟蔭高等女学校の初代校長に就任しています。伊賀駒吉郎はリベラルな教育者として人望が厚く、常に生徒のことを第一に考えて教育に取り組む姿は生徒や保護者からの高い評価を受けており、彼の元で学びたいという理由で入学を希望する者も多かったと言います。

その後も樟蔭女子専門学校の校長を兼務するなど、1946(昭和21)年に77才で亡くなるまで、教育界に一生を捧げた人生を送りました。

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